院長 加納 芳郎
- 名前
- 加納 芳郎
- ふりがな
- かのう よしろう
- 資格
- 柔道整復師・鍼灸師・巻き爪矯正認定資格者・外反母趾専門整体師
- 出身地
- 愛媛県(しまなみ海道の島)
エースで甲子園出場
愛媛県の1周10キロ程度の信号機もないような小さな島に、会社員の父と地方公務員の母の間に姉弟の長男として誕生。
子供の頃は・・・・
よく姉や女の子に泣かされていました。
全く落ち着きのないタイプで、高いところに登ったり飛び降りたり、走り回っていました。 当然、生傷がたえず、縫わないといけないような怪我も何回もありました。
高校の時は野球に没頭!!!
親元をはなれて3年間頑張りました。
毎日の厳しい練習をのりこえ、今治西高校のエースとして甲子園に出場。 松坂世代と言われているレベルの高い世代でベスト16に入りました。
関西大学に進学し、野球を4年間続けました。
そもそも私が整体師として今やっているのも、きっかけは大学時代にさかのぼります。
大学3年時に体を患い、1年間に4回40度の発熱を起こし3回入院しました。
田舎から都会に出てきて水・空気・食事と大きく変わり、わずか2年間でからだの免疫が著しく低下したのです。
すぐ発熱する上に疲労が抜けない、腰の激しい痛み、首が常にだるい、1年以上咳が出続けた症状もありました。
満足に野球ができない悔しい毎日を送っていました。 首や腰の痛みにいいと言われ、たくさんの病院や治療院を紹介してもらいました。
なんとか治して欲しいと必死な想いで病院に行きましたが、何の解決策ももらえないまま大量の薬をもらって帰宅しました。
何軒も整体を受けに行くも受けたときは楽になった気がしても少しすると元通りという事の繰り返しで1年たっても治る兆しはありませんでした。
そんな事をしているうちに大学4年間の半分は野球ができませんでした。
このまま体は治らないのではないかと絶望に陥ったのは今でもはっきり覚えています。
しかしあるとき・・・ 知人の紹介で整体院に行ったとき、世界が変わりました。
なにをされたのかわかりませんが、なにをしても治まらなかった激しい痛みが嘘のように楽になっていたのです。
さらにボロボロだった全てが繋がるように、止まらなかった咳や疲労感まで日に日に良くなっていったのです。
もちろん完治まで3~4ヶ月かかりましたが、本物の整体はこういうものだと認識しました。 強い喜び・驚き・感謝の想いが溢れてきました。
しかし同時にもっと早くこの先生と出会っていれば、野球をできない長い時間を無駄にしなくて良かったんじゃないか、こんなにも整体院や整骨院がある中でなぜ本物がこんなにも少ないのかということに怒りも覚えました。
そのときに
「本物の整体を提供できる先生になろう!」
と決心したのです。
社会人で野球を続け、野球を引退してから整骨院に就職しました。 それと同時に、鍼灸師・柔道整復師の資格を取るために学校に入学しました。
本物の治療家になるための修行時代
朝は仕事、昼間に学校に行き、夜は22時まで仕事、その後家に帰ってから2時まで勉強という日々を6年間送りました。
どこに行っても治らなくて困っている方、一生痛みは無くならないんじゃないかと諦めかけている方などが来られていました。
どうせ他と同じで治せないんやろ?と不信感や不安を持って来院されたお客さんが、来院するごとに
「今まで悩んでたのはなんやったん?」
「もっと早く来れば良かった」
と喜びの笑顔に変わっていきます。
そして、子供を抱っこしてあげられました。正座できるようになりました。旅行行けるか諦めかけていたけど行けました。薬を飲まなくても大丈夫になりました。と喜びの声が多く届き、
「先生のおかげです!」と人に感謝されるこの仕事の素晴らしさを再認識でき、毎日が充実していました。
柔道整復師の国家試験もストレートで合格し、この頃から、さらに深い痛みや症状を改善できるようにとさまざまな治療技術の研究・分析をしました。
大阪・東京・福岡など全国の有名な治療家に師事し、今までに800万円以上かけて技術を磨いてきました。
もちろん整体技術は日々進化しています。今でも学会には月に2回以上参加し、自院での勉強会は週1回行って技術力を磨いています。
もう2度と自分のように体の痛みや悩みによってやりたいことができなくなるという人を救うために
巻き爪の施術を始めた理由
実は、初めは『巻き爪を治したい』という風に思っていたわけではありませんでした。
腰痛や肩こりの悩みをもったお客さんのなかでも、施術しても効果が芳しくなかったり、良くなってもまた痛みや症状がすぐに元に戻ったりする方たちがおられました。
その方たちの共通点が「外反母趾」や「巻き爪」「浮き指」などの足のトラブルでした。体を支えている基礎となる足を良くすれば、身体を根本的に改善できるのでは?と考えました。
そして、実際にそれは正解でした!
巻き爪矯正をすると、5年10年と症状が改善せずに悩んでいた腰痛や膝痛が消えたのです。
これを機に『すべての症状に対して体を支える土台となる足元の確認を行う重要性』を実感しました。
それと同時に巻き爪で悩んでいる・つらい思いをしているという方が、自分の想像をはるかに超えるほど多いという現実に直面しました。
巻き爪の悩みをこの世からなくしたい!!
自分の足の痛みを何とかしようとサポーターやテーピング・靴選びなどを試しても、結局その場しのぎにしかならず改善しない。
その結果、悪化しても「クツ履けないほど痛いけど手術は嫌だから」と我慢しておられる方に実際に治療していく程に『巻き爪の痛みや苦しみ』で悩んでいる人を助けたいという想いが強くなりました。
実際に施術をしていくと巻き爪の方のほとんどが、外反母趾や腰痛・膝痛も同時に抱えている事がわかりました。
カラダを支えている足がバランスをとれないため、カラダ全体も崩れてしまい腰痛や肩こり、O脚や膝の痛みなど多くの症状が出てしまいます。
そのため、いくら腰や膝をマッサージしてもその場しのぎにしかならない訳です。
人生を価値あるものにして謳歌するには身体的に、また精神的に健康であることが大切だと思います。そのためには「歩けること」つまり、足元の健康は必要不可欠です。
「足元を健康にして、10年・20年先の人生も価値あるものにして欲しい」
身体を根本的に良くするために、体のバランスの全ての基礎である足元から改善することであなたの人生を変えたい!今でも本気でそう思っています。
その想いから『巻き爪矯正プログラム』を苦しんでいるたくさんの人に提供し、また日々の技術の練磨に励んでいます。
整骨院サキュレを開院
さらに理想の治療を追求し、その場しのぎではなく根本的に身体を改善したいというつらい思いをしているたくさんの人たちに最良の施術を提供するため2014年2月、尼崎市武庫之荘に整骨院サキュレを開院しました。
現在も年間200時間を超える学会、セミナー等に出席し、常に技術を磨き続けています。
巻き爪矯正師 谷 卓弥
- 名前
- 谷 卓弥
- ふりがな
- たに たくや
- 資格
- 柔道整復師・鍼灸師
- 趣味
- ドライブしながら大声で歌うこと
小さい頃はこんな子供でした
小さい頃は兄が大好きでいつも兄の後を追いかけていましたが、いたずらが大好きで兄の大事な漫画に落書きをするような子供でした。 小学校へ入学し兄がバスケットをしていたので追いかけるように自分もバスケット部に入部しいつの間にか自分の方が真剣になっていき、小学校4年生から高校の3年生まで9年間バスケットをしていました。
高校卒業後、治療家の道へ
一時はプロを目指していた時期もありましたが夢は叶わなかったため高校を卒業すると、今度は自分がサポート役に回って手助けしたいという思いから卒業してすぐに専門学校へ入学しました。 学校はお昼の13時からあったので、朝は整形外科で12時まで働き、整形外科がお昼休み中に学校へ勉強。学校の授業が終わると整形外科のお昼休みが終わるのですぐに整形外科へ戻りまた働くという生活をしていました。 無事に国家試験に合格したのですが、もっと体について勉強がしたいと思い違う学部に入りまた身体の勉強したため、全部で6年間も学校に通っていました。
私自身ずっとケガとの戦いでした
私も実は怪我の多く、腰の椎間板ヘルニアと膝の靭帯損傷を繰り返していました。一時はバスケットが出来なくてマネージャーをしつつ、心の中でいつかプレイヤーに戻ってやると思っていました。 ただ、病院へ行ってレントゲンを撮っても神経が出ているからと言われ、湿布と痛み止め、そして安静にしておくようにと言われただけで誠実に守るも1年間が過ぎても症状のしびれと痛みは消えることはありませんでした。 このまま、自分は好きなことが出来ずに我慢しながら生活しないといけないんだ。当たり前に出来ていたことが出来なくなるのはこんなにも辛いものなんだと思い、自分の部屋で1人隠れて泣いていた時期もありました。 色々違う病院も何回も通い、やっと良い先生に出会い治療の回数はかなりかかりましたが何とか症状の改善することが出来ました。症状が改善出来て、最後のインターハイ予選に何とか間に合い仲間と一緒にプレーが出来て良かったです。 この時の感動と先生、親、仲間への感謝は今でもありがたいと思っています。 僕と同じく、何かの症状によって当たり前のことが出来なくなった人を救い、人生の救世主になり、全国で1番苦しんでいる人を救った先生になって見せます!
巻き爪矯正師 佐々木 亮
- 名前
- 佐々木 亮
- ふりがな
- ささき りょう
- 資格
- 鍼灸師
- 趣味・今ハマっていること
- ショッピング
幼少時代から青春時代
小さい頃は身体を動かすのが大好きでとても活発な子供でした。家の中で遊ぶより外で遊ぶ方が好きで、よく友達と近くの公園に行っていました。
幼稚園の頃からサッカーを始め高校卒業まで約14年間続けてきました。
高校時代は毎朝5時に家を出て朝練に行き、放課後の練習が終わり、帰宅するのは夜の22時をまわっていました。そんなサッカーに没頭する日々を送っていました。
それ以降は高齢者を中心に訪問して鍼灸を行なうという仕事に就きました。
寝たきりの方、車椅子の方、介助がないと動けないなど、さまざまな方がいらっしゃいました。繰り返し治療をする中で「良くなった」と言っていただけることが増え、やりがいを感じ、また根本的に改善することの大切さを身をもって感じました。
現在
現在は、「より高い技術を身につけ、もっとたくさんの人を救いたい!」と考え、サキュレに就職しました。
それ以降、大阪や東京の技術セミナーに行ったり院内勉強会など日々技術を磨いています。
そして、より多くの方が悩みが解消され、こうなりたいと望んでいる姿を手に入れ笑顔になって欲しい!と思い、日々痛みや身体のトラブルに悩んでいる幅広い年齢の患者さんに全力で向かい合っています。